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小林秀一(野球)の経歴は?プロを断った理由や現在の職業は?

みなさん!こんにちは!

今回はドラフトで巨人1位指名だったのにも関わらず、それを拒否した事で有名な小林秀一さんについてご紹介。

野球を続けていく中でプロ野球を目指す方は多いと思いますが、実際にプロになれるのは一握りと言われていますよね?

特に巨人という野球では誰もが憧れる球団だとは思いますが、小林秀一さんはドラフト1位の指名を断ったのです。もちろん、人それぞれ考え方があると思いますが・・

2019年6月に放送される「消えた天才」としても紹介されました。

今回はそんな小林秀一さんについて調べてみました。

題して「小林秀一(野球)の経歴は?プロを断った理由や現在の職業は?」と言う事でご紹介してまいりたいと思いますので最後までご覧頂ければ幸いです。

それでは早速みていきましょうー!

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小林秀一(野球)の経歴は?

それでは、小林秀一さん!野球の経歴もみていきましょう。

小林 秀一(こばやし ひでかず)

生年月日:1951年4月20日

年齢:68歳 (2019年時点)

選手情報:ポジション 投手

小林さんは現在でいう上天草市(熊本県天草郡大矢野町)の出身です。

野球は小学校の頃から始めたそうです。

高校は現在は秀岳館高等学校(八代第一高等学校)に進学

1969年の3年生の時には夏の甲子園県予選を勝ち抜き、中九州大会に進出。

準決勝で津久見高に勝ち決勝に進みました。

決勝では残念ながら大分商に敗退し甲子園出場は実現しませんでしたが小林さんはマスコミに注目されるようになっていました。

1970年には愛知学院大学へ進学し4年時にはエースとして活躍

1973年春季リーグで8勝を挙げチームの優勝に貢献し最優秀選手に選ばれました。

全日本大学野球選手権大会や日米大学野球選手権大会日本代表にも選出されリーグ通算43試合に登板し21勝6敗、防御率0.93という成績を収めていました。

即戦力の右投げアンダースロー投手として評価されていましたので、多くのプロのスカウトからも注目されていたという事になります。

プロとして即戦力で活躍できると思われていたとは本当にすごい人だったんですね!

小林秀一(野球)のプロを断った理由や現在の職業は?

そして、これだけプロのスカウトから注目を集めていた小林さんですので、プロ野球のドラフト会議で1位指名を獲得します。

なんと!1973年読売ジャイアンツから1位指名を受けました。しかしそれを断りました。

理由は?

■仕事として野球を選んでいなかったから

■プロになってしまうと指導者になるのが困難だったから

だと言われています。

仕事して選んでいなかったというのは小林さんの考えである事から仕方ないと思いますよね?(笑)

指導者になれない可能性というのは、当時はプロ野球経験者が引退後アマチュア指導者に転進する場合、プロ野球界と社会人野球界の間に起ったトラブルである「柳川事件」などが影響して指導者になるのが困難であったと考えられるからです。

実施にこの問題が緩和されている現在だったら当時を振り返り巨人の指名を断ったか?という質問には「入団していたと思う」と回答しているようですので、この時代でなければ小林さんは巨人軍のメンバーとして活躍していた可能性は高いですよね。

ドラフト1位指名を断った後は内定が決まっていた熊谷組に就職し社会人野球の世界へと進んでいったようです。

8年間在籍して活躍した後、母校である愛知学院大学の野球部監督に就任します。
監督になってからは愛知大学野球リーグで15年12回の優勝を達成し功績を残した。

脳梗塞で倒れ監督を退任した後は同大の准教授として教壇に立つようになりました。

これまでも巨人から1位指名されたにも関わらず、拒否したのは小林さん1人だけだったそうですね(笑)

まとめ

今回は「小林秀一(野球)の経歴は?プロを断った理由や現在の職業は?」と題しましてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?

巨人のドラフト一位指名を断ったのは衝撃的だったと思いますが、現在とは異なる野球界の掟のようなものがあったのかもしれないです。

今回の経緯から消えた天才!という表現が正しいのかどうかは分かりませんが、プロになっていれば天才の力を発揮できた可能性は十分ありましたよね?

それでは、今回はここまで!最後までご覧いただきありがとうございました!